Author: MUTO

フリーランスの映像制作者

Adobe Premiereで悪戦苦闘

日本語のテロップ約250枚を英語に差し替える編集作業。普通なら何てことのない仕事なのですが、日本語版がAdobe Premiereで作られていて、そのプロジェクトデータを使うというのが条件。Premiereは使えないからお断りしようとしたら、納品期限がぎりぎりで他に対応できる人がいないとのことで引き受けてしまった。30年近く使ってきたEDIUSとはインターフェイスも操作手順も全く違う。あれ?、おや?の連続で思うように進まない。その都度ネットで使い方を検索して、なるほど・・・ 基本システムはほぼ同じだけど、ちょこちょこ違う。言うなれば普段日本で右ハンドルの車に乗っている人が、アメリカで左ハンドルの車に乗るような感じかな。運転という操作はほぼ同じだけど、ウインカーを出すつもりがワイパーが動いたり、右折して反対車線に入りそうになったり。そんな感じです。 やはり道具は使い慣れたものが一番いいことを実感しています。

再開局したけれど

一昨年、更新を忘れて約10年間そのままだったアマチュア無線局を再開局した。コールサインは昔のJK1DQTを復活。30年前は2階の屋根にHFの3エレメント・トライバンダー、50MhzのHB9CV、430Mzhの31エレメント・スタック、144&430Mhzのグランドプレーンなどアンテナを立て、コンテスト、QSLカード交換、仲間たちと移動運用などアクティブにやっていた。でも、屋根のアンテナは既に下ろして、今は車に無線機を積んでいるだけ。かつての仲間たちもみんなやめてしまって、誰もつながらない。周波数帯もガラガラでたまに数人の交信が聞こえるだけ。携帯電話やLINEが全盛の今、なんか寂しい気がします。

今年も祭りは・・・・

毎年7月に開催している地元、砂の万灯祭りは、今年(令和3年)も新型コロナの感染状況を鑑み、中止にすることとが先日の祭事委員会において決まりました。2年連続の中止となってしまい、大変残念です。この伝統はずっと守ってい参りますので、令和4年には開催できるよう祈念いたしております。

ブレーキパッドの交換

今週車検に出す予定なので、かみさんの軽自動車の前輪ブレーキパッドを交換しました。6万キロ走ってたので残厚3.5ミリまで減っています。車検が通るギリギリでした。業者に頼むと約15000円、DIYで部品代3000円で済みました。浮いたお金で何を買おうか・・・。

30年前のビデオテープ

今は懐かししいVHSテープ、30年程前に録画したTBSテレビで放送した「空と海をこえて」という3時間ドラマです。演出は先日他界された鴨下信一巨匠。このドラマで鴨下さんの助手をしていたことを思い出し、ラックの奥から引っ張り出してみました。 当時はPC98系のパソコンが普及し始めた頃、まだインターネットはありません。パソコンをモデム(データ信号を音声信号に変換する装置)で電話回線につなぎ、有志が設置したホストコンピュータと通信するというものでした。ホストコンピュータの設置者をシスオペ(システムオペレータ)といい、その人が許可した人だけが通信できるというごく小さなパソコン通信のネットワークで、草の根ネットワークとか呼ばれていました。今でいうところのグループLINEのようなもので、BBS(電子掲示板)にメッセージを書き込んだり、チャット(文字の会話)の機能がありました。 このドラマは日立製作所の1社提供で、やがて来るパソコン通信の時代に先駆けて、すばらしさをアピールしたいということでした。今、日立はパソコン事業から撤退していますが、当時としては最先端のテーマだったわけです。主演は後藤久美子、加藤茶さん、中原理恵さん、荻野目慶子さをはじめとする大勢の豪華キャストが出演しました。お前はパソコンに詳しかったよなということで、プロデューサーから誘われて参加しました。 私の役割はサブディレクター。現場を仕切る演出補チームから独立して、鴨下さんを補佐してパソコン関連の取りまとめとプレ編集をする担当でした。プログラムの専門家とパソコンモニターに表示させる画面や文字を作り、その画面を撮影。更に撮影が終わったドラマ本編の素材にパソコン画面を入れて放送する順番に1本のVTRにつなげ、鴨下さんが本編集をしやすいように準備をする作業です。 そしてもう一つが脚本制作の補佐。何せ3時間という長尺です。あらすじ(プロット)が完成した後も、細かな部分を作りこんで完成させなければいけません。本体が撮影している裏で、鴨下さんの指示を受けて、プロデューサーと脚本家の佐々木守さんを補佐して完成させていきました。 あらすじは、無人島でキャンプをする子どもたちが命の危機に見舞われ、パソコン通信の仲間たちが連携して、タイムリミットぎりぎりで命を救うというもの。鴨下さんからどんな設定が良いのかという課題を出され、調べて報告をする。すると鴨下さん自身でも色々と調べていて、私の調査結果と一致すると「これで行こう!」となるわけです。岸辺のアルバムやふそろいの林檎など、リアリティーを追求してきた鴨下さんならではのこだわりで、嘘や不自然な部分は絶対許さず、細かなことにも妥協をしない。なので、現場はいつもひっ迫した緊張状態ですが、鴨下さんは指示をした後で必ず「頼むよ」といってニコッと笑う。これが魔力みたいなもので、よし頑張ろうとなるわけです。 僅か3か月間でしたがとても貴重な体験をさせて頂きました。ご冥福をお祈りします。